2005年09月04日

悲しみよ……

(読売新聞2005年9月2日19時54分)

「悲しみよこんにちは」を翻訳、朝吹登水子さん死去
 サガン、ボーボワールの翻訳者として知られた朝吹登水子(あさぶき・とみこ)さんが2日、死去した。88歳だった。告別式は4日午前10時、東京都港区高輪3の15の18高野山東京別院。喪主は孫の牛場潤一氏。
 東京生まれ。戦前にパリ留学し、1950年にデザイナーを目指し再び渡仏。52年にオートクチュール・デザイナーの資格を得た。哲学者の森有正の勧めで翻訳を始め、昨年9月に死去したフランソワーズ・サガンの世界的ベストセラー「悲しみよこんにちは」の翻訳(55年刊)で一躍脚光を浴びた。
 以後サガン作品のほとんどを手がけたほか、ボーボワール「娘時代」「女ざかり」(共訳)も翻訳。サルトルとも親交を持った。
 また、日本人として初めてカンヌ国際映画祭の審査員を務め、2000年、仏レジオン・ドヌール勲章を受章した。
 小説家としては77年、自伝的長編「愛のむこう側」を発表。軽井沢の古き良き時代を描いたエッセー「私の軽井沢物語」など著書多数。


高校2年の夏休みだったか、サガンを読みふけった思い出がある。
当時文庫本で出ていた翻訳ものを全部。エネルギーがあったねえ。
その後、フランス語の原文で、「悲しみよこんにちは」を読み、大学の時の指導教授に、
「朝吹さんの翻訳の方が、サガンの原文よりいい、と思うのですが。
 原文だと、いかにも17歳の女の子が書いたように感じて、ちょっと」
などと生意気なことを言った記憶も。
そして、その教授が、「実はあの翻訳の話は最初自分のところにきたんだが、その時は忙しくて
 ね。彼女にお願いしたんだ」と言っていたような言っていなかったような記憶も。
まあ、遠い思い出ですな。

朝吹登水子さんがお亡くなりになられたとのこと、
勝手なことではあるが、自分が(一方的ではあっても)関係をもった方が亡くなった知らせを聞くと、
そこはかとなく悲しみを感じてしまう。ささやかながら、ご冥福を。


後日談(もうひとつ思い出をメモ)

森有正先生(実際にご指導いただけた訳ではないのに、このように呼ぶのも何だが、かといって、呼び捨てというのも抵抗がある。指導を受け損なった経緯についてはいずれ書く機会もあろうと思う)ととある教授に関するフランスでの話なのだが、その教授は「森さんは変な人なんですよ」と我々に話し始めた。

ある時、二人がフランスのとある家に招待された。その家は、日本びいきの家で、通された部屋は畳敷きだった。その時、森先生が「…さん、やはり靴は脱ぐんですかね」と言う。
その教授は怪訝に思いながらも、「当然そうでしょう」と答える。

「靴を脱いだ森先生の靴下は大きな穴が空いてたんですね」とその教授は締めくくった。
話の経緯についての記憶はいささか怪しいが、その話を聞いた時、大学時代の私はなぜか
非常にいやな気分になった。
そして、それからその教授とは少し距離を取り始めた。
今となっては、自分のことながら、その理由が分からない。
何となく森先生を侮辱されたと感じたらしいが、今は、なぜこの話がそういうところに通じて
しまうのか分からない。
しかし、このことがなければ、人生がまた、結構違う方向に向かっていたのでは、と思うと何とも不思議である。

偶には「斜視的」でない感慨もいいか。
posted by hiro at 20:10| 宮城 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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